Anatomy and development of the extrahepatic biliary system in mouse and rat: a perspective on the evolutionary loss of the gallbladder
Hiroki Higashiyama*, Mami Uemura, Hitomi Igarashi, Masamichi Kurohmaru, Masami Kanai₋Azuma, Yoshiakira Kanai.
2018. Journal of Anatomy 232 (1)134-145.
胆嚢は脊椎動物を通じて保存されてきた構造であるにもかかわらず、哺乳類の一部や鳥の様々な系統では突如として頻繁に失われるようになる。その現象の詳細は謎だったが、胆嚢のあるマウスと胆嚢のないラットの比較は、哺乳類における欠失が発生段階における特定の原基の欠如から起こっていることを示唆する。
ヘビなどの有鱗類の肢、洞窟魚の眼、真骨魚類の胃や冠動脈のように、生物の進化史では祖先的には高度に保存されていた構造が、特定の系統でタガが外れたかのように「頻繁に失われる」ということがしばしば起こる。その最たる例の1つが胆嚢だ。胆嚢は脊椎動物の共通祖先において獲得された消化に関わる器官であり、系統関係や食性の差異に関わらず、哺乳類と鳥以外の全ての脊椎動物で極めてよく保存されている(※例外的にヤツメウナギでは変態後の成体において消化管のリモデリングとともに退縮する)。しかし、これほど保存されてきたにもかかわらず、胆嚢は鳥の多くと、一部の哺乳類(特に真獣類)の系統でだけ頻繁に失われるのだ。このように突如として祖先的な制約から解き放たれたかのような胆嚢消失が生じるメカニズムはもちろん謎なのだが、そもそもこの部位は形態学的な研究が少なく、哺乳類の中でさえ「胆嚢がある状態」と「ない状態」はどこがどう異なるのか、またどのような発生過程の差で生まれるのすらよく分かっていなかった。本研究は齧歯類のなかで系統も生活史もよく似通った、マウス(胆嚢あり)とラット(胆嚢なし)の比較によって問題解決の糸口を探ったものである。
筋骨格系や中枢神経系、心臓などの形態進化の研究は数多いが、これらに比較すると、現代において内胚葉系列の臓器を対象とした形態進化の研究は極めて少ない。一見して骨格等よりグニャグニャして捉えどころがないし、解剖学的に破格 (anomaly; 機能的な変更の有無を問わず, 正常または平均的な範囲から逸脱していること) が非常に多く、確固としたスキームを描きづらいのもその一因ではあるだろう。こうした理由からか進化研究の蓄積が比較的少なく、扱いづらい部位ではあるものの、しかしひょっとしたらそこには他の部位では得難い現象が見えてくるかもしれない…。
肝臓-胆道-膵臓系 (肝胆膵系; hepato-bilio-pancreatic system)は、脊椎動物の共通祖先より成立した、消化管より分岐する器官系である。 ナメクジウオには肝憩室があるし、膵臓はしばしば一塊の臓器というより散在する膵細胞として様々な動物に見られ脊椎動物を通じても段階的に進化してきたため、ここら辺は細胞型のレベルと器官レベルそれぞれの階層で進化史について議論する必要があるのだが、それはまた追々…。
肝臓や膵臓は胆道系(胆管や膵管を含む)で結び付けられ、これらの器官で産生された胆汁や膵液を十二指腸へと排出する。胆管の途中にある袋状の構造が胆嚢であり、これは知られる限り、一部の哺乳類と鳥を除くすべての脊椎動物で保存されている(注1)。だがどういうわけか哺乳類、特に齧歯類 (図1)
など真獣類のいくつかの系統と、ハト目などの鳥では何度も胆嚢の消失が起こったことが示唆され、何らかの理由で祖先的な制約が破綻していることが示唆される。では何がこの進化的な傾向を生んだのだろうか…。
しかしこの領域には分からないことが多い。まず、上記の疑問に答えるためには、先に「『失われた』というのはどういう現象なのか」というのを観察し、記述する必要がある。このため、我々は系統的にも解剖学的にも近縁なマウス(胆嚢あり)とラット(胆嚢なし)をモデルとして、その肝胆膵系の発生においてどこが変化しているのかを見極めることにした。これがこの研究の背景である。
まず胆道系と血管に色素を注入し、それぞれの成体の肝胆道系を可視化して解剖学的構造を記述した。その結果、マウスとラットでの形態的な差はあくまで胆嚢-胆嚢管領域に限局し、それ以外は血管系を含めて全く同じ形態学的パターンを持つことが分かった。続いて組織切片からの三次元構築等を用いて発生過程を形態的に比較すると、マウスの胆嚢は肝外胆管のうち総肝管の分岐点よりも遠位の部分が腹側に伸びて形成されるのに対し、ラットではそもそも同部位がまったく伸長しないことが分かった(図2)。
更に肝胆膵原基に発現する分子のパターンを調べると、マウスでは肝臓、胆嚢、腹側膵臓へ分化する領域にそれぞれHnf4a、Sox17、Pdx1の発現が見られるのに対し、ラットでの肝胆膵原基はHnf4aとPdx1で占められ、Sox17陽性の細胞がそもそもまったく生じないことが判明した。甲状腺など他の部位ではマウスでもラットでも共通してSox17の発現が観察できる。Sox17はゼブラフィッシュやアフリカツメガエルでも胆嚢特異的に発現する分子であり、その変異マウスは胆嚢-胆嚢管特異的に異常が発生する (Higashiyama et al., 2016. Development)。系統的に見ても、ラットでの胆嚢の消失は胆嚢原基特異的なSOX17発現の消失と同時期と推測される。
一般に構造の進化的消失には大きく2パターン存在する。一つは発生原基そのものが生じない例、もう一つは発生過程で一過的に生じた後で発生を通じて二次的に消失する例で、洞窟魚の眼胞や脊椎動物の脊索は後者に該当する。ラットでの胆嚢消失は前者に該当し、どうやら前腸腹側上皮における初期のパターニングの段階から失われているらしい。
胆嚢はそもそも後天的に切除してしまってもそれほど大きな害はない器官だ。特定の系統において頻繁に失われることはもちろん疑問だが、逆にこんな器官がこれほど脊椎動物を通じて維持されてきたのも不思議と言えば不思議である。Rupert Riedlが発生負荷 (developmental burden)の考えで説明したように、成体の身体においてすでに不要となった構造であっても、胚の段階では後続する発生過程を誘くために必須であることから系統に渡って維持される、という現象はしばしば観察される。例えば成体においては多くの場合二次的に消失する脊索が、発生過程では後続する椎骨の形成や神経管のパターンに必須であるように。だが胆嚢がそもそも発生の中で一時的にすら発生しないラットのような動物の存在は、この器官がその発生過程において後続する発生過程の何にも影響を与えない、孤立した構造であることを思わせる。…ひょっとしたら、祖先的には胆嚢にかかる発生負荷は比較的大きかったものが、齧歯類やいくつかの系統では小さくなったために頻繁に失えるようになった、ということなのかもしれない。
いずれにせよ、この辺りの器官の進化過程を包括的に語るにはまだまだ知見の蓄積が必要なようだ。
※出版からしばらく経ってから書いた文章であり、論文に書かれていない内容にも少々言及しています。
- 注1:19世紀以前の古典的な文献では、胆嚢のない真骨魚類の記載があったりするが、現代では全ての魚に胆嚢があることになっている。この器官は厄介なことに、なるべく早く固定しないと自己消化ですぐに崩壊しちゃうのだ。またフォルマリン固定が一般化する1900年頃より前はグルタルアルデヒドやエタノール固定が用いられたが、これらは胆嚢の構造を著しく収縮させる。なので古い文献を参照する場合は要注意。そんな調子なので、現在知られている「胆嚢が無い/ある」という情報も動物によっては将来更新される可能性はある。とはいえ、鳥と哺乳類の一部で異様に失われやすくなるという進化的傾向があるのは明らかだろう。